いすきの二乗

 アラバスタを出港して、ロビンねえが乗船した。当時のわたしは今以上にビビリだったのでロビンさんと呼んで遠巻きにしていたのだけど、ロビンねえはあまり気にした様子ではなかった。
 わたしは相変わらず夜型で、それでもその頃になるとアトリエにこもりきりになることは大分なくなっていた。みんなが寝静まった空間でサンジくんの包丁の音を聞くのがすきでたまらなかったのだけど、何度か挑戦した早起きチャレンジは全て失敗に終わっていたので、相変わらず作業に没頭して徹夜をしたときくらいしかその機会には恵まれなかった。行き詰まったときもそうでないときも、サンジくんが起きてきたらキッチンで暫くぼんやりして、いいにおいのするホットミルクを飲んで眠るのだ。
 対して、ロビンねえは早起きだった。最初の方は決して仲間ではないという緊張感から眠りも浅かったのかもしれない。乗船して暫くはすれ違っていたのか出会うことがなかったのだけれど、その日はマグカップの中身を半分くらい減らしたところでキッチンにロビンねえが現れた。
「あら、芸術家さん。早いわね」
「おはようございますロビンさん」
「おはようロビンちゃん!」
 ロビンねえはサンジくんの朝が早いことは既知であったけれど、わたしとこの時間に会うのは珍しく、それで興味深そうに声をかけてきたのだと思う。早朝なのでやや抑え気味ではあるが、サンジくんの妙に元気な挨拶にも愉快そうに返事をして、その後、ロビンねえはわたしがちびちび飲んでいるマグカップの中身が気になったようだった。稀によくある寝る前の習慣であることを伝えて、だから今も決して早起きをしたわけではないということも添えると、合点がいったという様子で微笑んだ。こんな風に近くでロビンねえをまじまじと見るのはこのときが初めてだったような気がする。本当にきれいなひとだとおもった。
 そうこうしているうちに随分と瞼が重たくなってきて、サンジくんの心配りをまだ飲み干してはいなかったけれど、頭がゆらゆら動き出す。寝るなら部屋で寝ろという、いつも通りの世話焼きサンジくんの声と、邪魔をしては悪いわね、と言うロビンねえの声が聞こえた気がした。
 以降、わたしの居る早朝のキッチンにロビンねえが顔を出すことはなかった。

 それから一気に飛んで再集結した現在。もうすぐ十六歳になるわたしは、立ち止まって研鑽に努めた二年の間にすっかり朝型になることに成功していた。成長期ド真ん中でみんなと別れたわたしは再出発の地に戻ってからというもの、会うひと会うひとに成長したと言われ続けた。みんなの記憶の中のわたしは今よりもずっと小さかった筈だし、印象の差が顕著だったのかもしれない。それでも相変わらず背は低いし、ロビンねえやナミちゃんみたいな、あんな風な成長は遂げなかったのだけれど。
 懐かしのサニー号に乗り込んでチョッパーとリズミカルに最高の握手を交わしたり、ナミちゃんの熱烈ハグを受けたり、たくさんたくさん再会を喜び合う。ちらりと様子をうかがったサンジくんは暫く見ないうちに女性への反応が一段と酷くなっていて正直頭の心配をしたけれど、相変わらず小さいわたしには少しほっとした様子を見せた。そして自分よりもずっと低い位置にある頭をぽんぽん撫でては満足そうにしていたので、サンジくんが変わらずサンジくんであることに、何とも言えず安心した。
「ちゃんとメシ食ってたか?」
「うん。必要な栄養はちゃんと取ってた」
 わたしの回答はサンジくんのお気に召さなかったようで、そのまま軽く頭を叩かれる。正直三年前から比較して進歩を褒めてほしいところではあったのだが、確かにサンジくん的には教育失敗に他ならないのかもしれない。そんなことをぼんやり考えていたら、ふふ、という笑い声が聞こえてくる。そろそろと顔を向けると斜め後ろくらいにロビンねえが立っていた。なんだか微笑ましそうな視線を向けられて、ほんの少しむず痒くなる。
「ロビンねえも、久しぶり」
「久しぶり、。大きくなったわね」
「うん。多分十センチくらいは伸びたよ」
「あら、じゃあもうミルクは卒業かしら」
「それはまた別のはなし!」
 駆け寄って話しかければ、ロビンねえも朗らかに返してくれた。懐かしい話を持ち出して、また笑う。わたしはほんのり香るシナモンを思い出す。なんとなく避けている風だったロビンねえが自分から不定期な朝の習慣の話を持ち出すのがめずらしくて、特別聞くほどでもないかと流していたことを思い切って聞いてみることにした。
「ロビンねえって早起きだけど、朝わたしがダイニングでぐだぐだしてるとき絶対入ってこなかったよね。なんで?」
「気づいてたのね」
「なんとなくだけど。でもわたしさっさと寝ちゃうときの方が多かったし、気の所為かなあって思ったりもしてた」
「そう。意識して避けてたのは最初だけよ。は新しい人に慣れるのに時間が必要みたいだったし、昔はお互い距離があった」
 メリーに乗っていた間はロビンねえに対して常に緊張していたことを思いだす。必要なことは話したしたまに雑談したりもしたけれど、エニエス・ロビーでの一件があるまで、本当の意味では仲良くなれなかった。
「……でも、そうでなくなってからも時間が被らなかったのは、あなたたちの家族団欒みたいな時間を邪魔したくなかったからね」
「家族団欒?」
「ええ。すごくリラックスしてて、初めて見たときは驚いたわ。私が近づいても表情が固まらないんですもの」
「えっと、そんなにわかりやすかった……?」
「それはもう」
 苦手意識がばれていたのは知っていたけれど、自分ではもう少し取り繕っていたつもりがどうやら態度に反映されすぎていたようだ。少し気まずくて視線を逸らすと、気にしなくていいのよと笑われた。
「ありがと、ロビンねえ。わたし確かにあの時間だいすきだった」
「ええ、そうね」
「でもね、わたしロビンねえのこともだいすきだから、気にしなくてよかったんだよ」
「あら。ありがとう、
 だいすきがたくさん伝わるように、珍しくまっすぐに目を合わせて伝えると、ロビンねえはきょとんとした表情を見せてから、嬉しそうにはにかんだ。やっぱりきれいなひとだなあ、なんてしみじみ考えて、わたしは甲板を後にする。
「私もだいすきよ」
 ロビンねえがわたしの背中に向かって呟いた言葉は残念ながら聞こえなかった。
2017.10.10