ただそこにある

 わたしの生まれ育った家は何百年も前からこの街にあるらしい。
 傷んだ箇所を修繕していったそれは外観の趣に反してごく近代的な基準を満たしているし、内装は驚くほどにきれいだ。そういった家がナックルシティにはたくさんある。リビングには曾祖父の気に入りのダイニングテーブルとチェア。父の私室には祖母が結婚祝いに送られたビューロ。数えていけばきりがないほどに、そういった、過去から脈々と受け継がれてきたものが、部屋のそこかしこに散りばめられている。
 ナックルの人間はとかくものを捨てない。古いものを大切にする街だから、たくさんの歴史が残っている。
 それが、わたしたちの誇りだった。
「ほんと、派手にやってくれたよねえ」
「やあん?」
 大きく崩れた城壁を見つめながら、わたしはベッドの上で伸びている相棒に話しかける。全身が桃色をしたうちのヤドンは、祖母より譲り受けたたまごからうまれた子で、この地方に生息している姿とはすこし違っている。わたしは食べ比べたことがないからわからないけれど、しっぽの味もどうやら違っているらしい。
 ガラルの永久なる繁栄を願ったひと。ローズ元委員長はとても有能な経営者で、地方のあらゆる発展に大きく貢献したけれど、わたしたちの大切なものを随分と派手に壊してしまった。彼は元々あるものに手を加えすぎてしまうから、特にご年配の方々のなかには、元より彼の革新的な思考を手放しで支持できないひとも多く存在していた。そこにブラックナイトの伝説をなぞられてしまっては、今やその名前すら出すのも憚られる場面がある。たとえば祖父のいる空間などがそうだ。随分とものの減った自室の窓から窺える街の中心の有様は、何度見てもわたしに言いようのない寂寞をあたえた。
 形のあるものはいずれ失われる。どれだけ大切にしてもそれが真理だ。こんなことを言っては怒られてしまいそうだけれど、まだ爪痕の残る街の一角は、底知れぬはかなさとともに、未来へと向かう息づかいを感じさせた。街の象徴である古城がいくら崩れても、わたしたちの誇りは損なわれない。すこしずつ再建される城壁は、けれども今までと全く同じようには完成しない。そうやって、ナックルはまた新しい歴史を刻んでゆく。



「それにしても災難だったね」
「あはは。確かに、めったにない体験だよねえ」
 橋の近くにある行きつけのパブで、かつてよりは集合頻度の下がった友人たちと吞み交わす。いわゆるいつもの面子というやつだ。思いがけないアクシデントで二度開催されることになった飲み会は、けれども学生時代ほど安易に集まれなくなったことを思えば、ある意味では幸運に数えてもいい出来事かもしれなかった。
「まさか飛んできた瓦礫で式場が半壊するとはね」
「ローズさんまじやってくれるわあ」
「まあそのお陰で酒飲む口実が増えたわけだけど?」
「はは、違いない」
 四人分の笑い声はそのままパブの喧噪に溶けてゆく。以前からよく知るこの店は、わたしの両親もよく通った場所らしい。まだ暖かいシェパーズパイを啄みながら、なんてことはない話に花を咲かせる。
 分厚い木製のテーブルには細かい傷がたくさん刻まれていた。誰かが零したビールの染みに、重ねるようにジョッキの底を鳴らしてみれば、友人には次の注文を促される。立ち上がるとすこし足元が浮ついたが、このくらいの酔い加減がいちばん楽しいのだ。
大きな木を切りだして作ったカウンターにもたれかかり、メニューをぼんやり眺める。一緒に席を立った友人はあっさりとビールに決めたので、バーテンダーはてきぱきと備え付けのサーバーをひねっている。悩むのにも飽きてなんとなくキール・アンペリアルなんて洒落た名前のカクテルを頼んでみると、レジの横から澄ました顔でこちらを見ているカジッチュと目が合った。ここのバーテンダーの相棒だ。
 馴染みのバーテンダーは準備の間気安く話しかけてくる。今度こそおめでとうと笑うお兄さんにお礼を言えば、近くに座っていた顔見知りの家族も同じように祝福をくれた。
 フルート型のシャンパングラスに注がれて登場した最後の一杯は、わたしの相棒と同じ色をしていた。

 石畳を歩く。ヒールが地面を叩く音が壁に当たって返ってくる。
 古いも新しいも、そのすべてを刻みこんだこの街は、きっと明日からのわたしもまるごと包みこんでくれるだろう。
 きらきらと瞬く星がいやに明るく感じて夜空を見上げる。大きく聳え立つ古城はこの街を守るドラゴンのように、きょうも街の中心でゆったりと羽根を広げていた。


2021.05.25