残りは総て君へと贈る

 平安の世に打たれ、短くはない時を経た。
 おれは望まれたがゆえにかたちをあたえられ、やがて自我らしいものを得る。

 都市部の喧噪を離れた閑静な町並みのなかに、その場所はあった。
 菖蒲の節句発祥の地と称されるそこは、雨季のころになれば大きな花が咲き誇り、鮮やかな色合いで辺りを埋めつくす。おれが奉納されたのは新しい年を向かえてすぐの頃であったらしいが、記憶の残る最も古い景色のひとつは、彩に満ちた花々が雨粒によってめかしこんでいる姿であった。

 意識の浮上とはゆるやかに訪れる。世界に溶け込んでいた感覚がすこしずつ分けられてゆき、その広くおおきなものと自分・・が別の存在であることを理解してゆく。それらは非常にゆるやかな時間の流れとともにすこしずつ感情を伴い、そばにあることを認識していたあたたかなものたちが、あるときふと腑に落ちる瞬間がおとずれた。刀として存在するおれの意識に確からしい姿はなく、どんなかたちをしているのかはわからない。けれども時折訪れる感じ・・のいい人間たちによると、成人男性くらいのおおきさの靄がその辺りを漂って見えるらしかった。
 宝物殿に居座るようになると多くの人々が足を運んでくれる。そのほとんどはおれの意識に気づかず素通りしていくが、時折面白い話を聞かせてくれる者もいて、何かを楽しみだと感じる気持ちの名前はここから知った。自我の芽生えた頃は存在自体が非常に危うかったのだが、神社の敷地内であれば多少はうろつけたこともまた、楽しさを拡張した。
 社務所の傍ら、植込みの影、石像の前。様々な場所で出会う彼、彼女たちは、おれが写しと呼ばれる存在で、原作となった本歌がいるのだということも教えてくれた。様々な刀に写しと呼ばれるものがあり、かつておれが三日月宗近の写しと並んで展示されていたこともあるのだというこぼれ話ももらったが、その頃には自我の片鱗もなかったため、まったくぴんとこない話であった。
 けれども気になることは他にもたくさんある。本歌とは何かと尋ねると、たとえば様々な家を渡り歩いた太刀であるという話が返ってきた。その尋ね方をすると本歌の語義について解説してくれる人もいたので、知りたい情報によって尋ねる言葉を選ぶ必要があるというのは興味深い発見だった。与えられる情報にはそれぞれ差異があったが、当然重なる部分も多くある。
 太刀とは何か、刀とは何か。次から次へと派生して尽きることのない質問に、人々はみなこころよく応えをくれた。美術品としての自分しか知らなかったから、刀の意義が他にもあるというのは驚きだった。

 人目にふれぬ間は自身に問い、時折ふらりと境内を散歩しては人に問い、そんな穏やかな時間をある程度続けていると、しだいに本歌の偶像がこころのなかに住みつくようになる。憧れとは自分以外のものへと抱く感情だろう。いまとなっては簡単な話である。けれどもおれは長く、本歌と呼ばれるものと自分と呼べそうなものとの違いが理解できずにいた。おれは所有者を渡り歩いてはいないし、人を斬ったこともない。けれども、違いを知るということがますますおれの認識を混乱させた。それはなかなかに鮮烈で、語れば人を微笑ましい気持ちにさせるようだったが、おれとしてはきわめて大事な問題だった。
 おれの日々に急進的な変容はない。代り映えのしない毎日はゆるやかに過ぎて、着実に月日を重ねてゆく。見知った顔は入れ替わり、おれはまた自他の境界というものにすこしずつ線をひき、確からしく取り分けてゆく。最近どこか遠い国で、一週間という時間を遡った人間が出現したらしい。全く関係ない実験中の事故だったそうだが、その話の中身よりも、語る人間の目の輝きの方がおれには印象的であった。相槌とともにながめていると、その表情から読み取れる感情に似たものが、自分のなかにもたしかにあるような心地がした。

 人間はいつか命を終え、物もまたいつか壊れる。誰もが完璧だと考えたものもまた、完璧ではなかったのだと痛感する瞬間がくる。おれはこれまでも、そしてこれからもずっと、最初に納められた神社のなかで大事にされ続けるのだとおもっていた。それ以外の道を知らなかったからだ。
 おもうにおれは、いままで自我と呼べるものすらちゃんと持ててはいなかったのだろう。

 廃刀令より後に作刀されたものを現代刀と呼ぶらしい。おれが打たれた当時ですらそれはなかなか大味な分類であったが、今日に至ってはさらに範囲が拡張されている。細かく見ていけば作風や用途などでもうすこし区切って話されるようだが、人間の決めた名前や特徴の詳細はおれの知るところではない。
 何にせよ、おれはその現代刀に属している。そしてそれは、おれが歴史修正主義者と対峙するにあたって十分な懸念事項となる経歴に違いなかった。政府が求めているのは国内のあらゆる場所や時間軸で起こる戦争を終わらせるための手段で、この手の犯罪と対立は世界中が抱える悩みのひとつとなっている。二十二世紀の後半にさしかかったころ新たに台頭した技術は、当時の人間の多くが予想したとおり新たな争いの火種となっていた。
 資源は有限であるはずだったが、近年時間遡行による犯罪は枚挙に暇がない。いくら敵を切り伏せてもふたたび時間を遡られれば同じことの繰り返しだ。そのような状況下において、戦線に新たな刀をと挙げられた候補のなかに、変わり種として名を連ねたのがおれだった。
 初めてその話が降りてきたときには、考えもしなかった提案にただ驚いたものであった。拐かしに遭いそうになったり、いつまでも自我の定まらずに存在が揺らいだり、なにかと危ういばかりであった頃からは百余年、随分と安定した存在にはなったものの、歴史も実績もある面々にくらべればおれなどまだ赤子のようなものである。血を知らぬおれが一体戦場で何を成すというのだろう。冷静な自我は何度か問いを投げかけた。けれど、固辞はしなかった。こういったとき人間であれば辞退の意向を伝えるものなのかもしれないが、おれはひとの意思によって価値の定まるものであるから、人間がそのようにおれを使いたいと言うのなら、それを是認しようとおもっていた。
 そうしてしばらくは非常に受動的な姿勢で潮流を見守る構えを取っていたわけだが、あるときふと、これが本歌に相見えるまたとない好機ではないかということに気づく。おれはたしかに写しだが、皇室所蔵のかの刀と直接対面する機会には恵まれなかった。自我とはとかく現金なもので、それに気づいた瞬間次に選ばれるのはおれであってほしいという気持ちがわいてくるのだから、まったくもって厄介なことである。

 会議はいつも紛糾していた。おれが検討一覧に名を連ねてから三振目の実装を決めるときになって、ようやくそれは可決したらしい。安穏と暮らしてきた美術品が果たして本当に戦道具として役に立つのかというのは当然十目の見るところであり、徒労に終わるだろうという声は非常に腹落ちする言い分であった。ただそれは決しておれを愚弄するためのものではなく、どちらかというと親心に近いものであったらしいが、当時政府の人間に聞かされたとき、その気づかいの意図はあまり理解できていなかった。
 もはや自分の制御を離れて久しい憧憬が、いまも未練がましく手をのばしている。それだけがおれのなかに存在した事実であり、結局のところそれが臍を固める決め手となっていた。

   ◇

 視界が一気に明らんだ。にえが肌のうえをほとばしるように、宙空をちいさな花弁が舞っている。降りゆく影の合間から、澄んだまなざしがそそがれていた。
 そっと、なめらかな指先が、白い拵に覆われたおれ自身をさしだしてくる。血の通ってほんのり赤らむ人間の手だ。どのように振舞えばいいのかは降ろされる前より識っていた。受け取るために持ち上げた腕は想像していたよりもずっと重く、ひどくゆったりとした動作で事をなす。黒い布切れに覆われた手が自身を掴むのに、得も言えぬ心地がした。
 おれを呼びだした人間は、そうやって場が整うのをじっと待っていた。夜闇に似た瞳を静かに見つめ返し、やがて何度も聞かされた自身の名を音にする。いままでに声を出したことなどなかったが、のどを震わせる感覚にさほど戸惑いはなかった。
 刀としては長く在っても、ひとのこころはわからない。そのとき己のなかに到来した感覚は、いまでこそわずかの恐れとあまたの期待であったと言葉にすることができるだろう。
 語ることのできる言葉はそう多くなかった。多くの物がそうであるように、おれも誰かの物になる。いまだ未熟なこころのなかに、手放すことのできない持ち物を抱えたまま。

 

「さて、きみはおれにどんな刀であってほしい?」


Dreamer's Friendship Party! 4 寄稿

残りは総て君へと贈る つぎはぎlogicさま

2022.02.26